弁護士加藤英典のブログ

埼玉県所沢市の弁護士のブログです。

袴田事件第二次再審請求即時抗告審~DNA鑑定実施を強行した裁判所~

  • ※このエントリーは、『再審通信』111号(日本弁護士連合会人権擁護委員会編)に寄稿した文章をブログ用に編集したものです。

事件発生から半世紀

袴田事件は、1966年6月30日未明、静岡県清水市(当時)内の味噌製造会社役員宅で一家4名が殺害された強盗殺人・放火事件です。静岡地裁は、1968年9月、味噌製造会社従業員の袴田巌さんを事件の犯人と断定し、死刑判決を言い渡しました。死刑判決は、1980年11月、最高裁で確定しました。しかし、袴田さんは第一審の公判から一貫して自らは犯人ではないと主張してきました。
27年間に及んだ第一次再審請求審(1981年4月~2008年3月)により再審請求棄却決定が確定すると、弁護団は2008年4月に第二次再審請求を申し立てました。6年間の審理を経て、静岡地裁は2014年3月27日再審開始を決定しました。さらに、静岡地裁は死刑及び拘置の執行停止を決定し、袴田さんは決定当日に釈放されました。その後、検察官が即時抗告を申し立て、現在、即時抗告審が東京高裁第8刑事部に継続中です。袴田さんが釈放されたとはいえ、再審開始決定は確定しておらず、袴田さんの地位は確定死刑囚のままです。
間もなく事件発生から半世紀になります。当時30歳の青年であった袴田さんは、今年3月に80歳の誕生日を迎えた。節目の年となり、積み重ねられてきた年月の重みを感じるとともに、いまだに事件が解決していないことに忸怩たる思いです。

裁判所がDNA鑑定実施を強行

東京高裁における即時抗告審では継続的に三者協議を実施しています。三者協議は2016年3月に17回目を数えました。即時抗告審における最大の争点は、DNA鑑定です。
原審では、これまで決定的証拠とされてきた5点の衣類等のDNA鑑定が実施されました。鑑定人の一人は、足利事件等でも鑑定人を務めた本田克也教授(筑波大学)です。本田鑑定の結果、5点の衣類は、犯行着衣ではなく、袴田さんのものではないことが明らかになりました。静岡地裁は、本田鑑定等を新証拠とし、5点の衣類を警察がねつ造した疑いがあるとして、袴田さんが犯人であることを裏付ける証拠は存在しないと判断しました。
本田鑑定については、原審の段階から検察官が激しく批判してきました。即時抗告審でもその批判は衰えることなく、ありとあらゆる資源を活用して本田鑑定を徹底的に攻撃しています。このような検察官の批判に対して、弁護団は適宜反論し、検察官の主張をことごとく論破してきました。本田鑑定の信用性に関する議論は、既に決着しています。
ところが、東京高裁は、本田鑑定の信用性に関して、即時抗告審で鑑定を実施する意向を示してきました。弁護団は、本来であれば鑑定は不必要ではあるものの、裁判所の疑問を解消するために鑑定に協力することは致し方ないという態度をとってきました。しかし、鑑定の条件設定を協議する中で、裁判所の目論んでいる条件設定が明らかに不適切であり、誤った判断を導く可能性があることから、弁護団としては鑑定に協力できないという態度をとるに至りました。それにもかかわらず、裁判所は、2015年12月7日鑑定実施を決定しました。鑑定人は検察官推薦の法医学者1名です。弁護団は、同月25日に証拠取調決定に対する異議を申し立てましたが、即日棄却されました。棄却決定は、「本件異議申立を棄却する」という主文のみであり、理由は一言も書かれていません。

不当なDNA鑑定決定

東京高裁の鑑定決定には次のような問題があります。
本田鑑定は、試料からDNAを抽出する過程で、血液由来のDNAを選択的に抽出する方法(以下「選択的抽出法」といいます。)を用いています。この方法は本田教授のオリジナルであり、鑑定実施後に本田教授が論文化して権威ある国際的な論文誌に掲載され、高い評価を得ています。
この選択的抽出法については、原審の段階から古い血痕には効果がない等と検察官が批判してきました。東京高裁は、検察官からの批判を踏まえて、選択的抽出法の効果を確認するために鑑定を実施することを決定しました。鑑定事項は3つに分けられています。
1つ目は、新鮮な血液を新鮮な唾液と混合させたものを試料とし、選択的抽出法の効果を確認するというものです。これは、本田鑑定人が鑑定前の予備実験として実施した方法であり、適切な手順を踏めば血液由来のDNAが検出されます。
2つ目は、法医学教室に保管されている古い血液が付着したガーゼを試料として、選択的抽出法の効果を確認するというものです。これも、血液由来のDNAが残存している試料であれば、適切な手順を踏めば血液由来のDNAが検出される可能性が高いです。
問題は3つ目です。上述の古い血液が付着したガーゼに、薄めた新鮮な唾液を付着させたものを試料とし、選択的抽出法の効果を確認するというものです。唾液を薄めるのは、古い血液のDNAが分断・劣化しているのに対して、新鮮な唾液はDNAが良好な状態ですから、単に新鮮な唾液を付着させると、選択的抽出法を用いても新鮮な唾液に由来するDNAのみが検出される可能性が高いからです。そこで、唾液を薄めてDNAの量を調整するというのです。
しかし、3つ目の条件設定は妥当ではありません。唾液を薄めてDNAの量を調整するといいますが、そのような調整は実際には困難であることが予想されます。検察官は調整が可能と主張していますが、その根拠となっている報告書は一研究者のアイディアを記述したものにすぎず、実験として調整可能であることを確認したわけではありませんし、DNAの量を調整する具体的な手順を検討したわけでもありません。鑑定の結果をどのように評価するのかも不明確であり、鑑定後に議論が錯綜するおそれがあります。何より、これは「鑑定」とは言いながらも、実質的には科学実験であり、再審請求の審理の中で行うべきことではありません。このように3つ目の条件設定は非常に問題があります。
そもそも、原審は、本田鑑定の信用性を肯定したものの、選択的抽出法を高く評価していません。原審における検察官の批判を踏まえて、古い血痕を対象としたときに選択的抽出法に効果があるかは必ずしも明らかではないとしながらも、対照試料からDNAが検出されていないことや試料に血液が付着している蓋然性があること等の他の事情を踏まえて、本田鑑定の信用性を肯定しているのです。仮に、検察官の主張どおりに選択的抽出法が古い血痕を対象としたときに効果がなかったとしても、本田鑑定の信用性が直ちに否定されるという関係にはないのです。この論理は、即時抗告審でも弁護団が再三主張し、検察官は適切な再反論をしていません。本来であれば、即時抗告審での鑑定は不必要なのです。
弁護団は、東京高裁がどうしても選択的抽出法の効果に疑問があるのであれば、その疑問を解消するために、1つ目と2つ目の鑑定には協力することは致し方ないとして、弁護人推薦鑑定人候補者の準備もしていました。しかし、裁判所が3つ目の鑑定も実施することに固執したため、鑑定そのものに協力するわけにはいかなくなったのです。
ともあれ、現に鑑定実施は決定され、検察官推薦の鑑定人が鑑定を進めています。弁護団は、東京高裁の不当な決定を批判しつつ、鑑定結果に対する対応の準備を進めています。

取調録音テープと元警察官の証人尋問請求

即時抗告審段階において、オープンリール23巻分の取調録音テープが開示されました。弁護団による反訳作業が行われ、録音されている取調日時や取調官の特定が進められました。今後、捜査機関による違法な取調の全貌が明らかにされることになります。
また、弁護団は、2016年3月24日、事件発生当時の捜査に関わった元警察官2名の証人尋問を請求した。うち1名は、事件直後の捜索の際、「5点の衣類」が隠されていたとされる味噌タンクの中に衣類が入っていなかった旨を弁護人に供述しています。残る1名は、「5点の衣類」が袴田さんのものであることを裏付けるとされるズボンの共布について、袴田さんの実家の捜索の際、共布が外部から捜索場所に持ち込まれたことをうかがわせる事実を弁護人に供述しています。元警察官らの供述内容は、警察によるねつ造の存在を推認させる重要なものです。
いまだ証人の採否は判断されていませんが、元警察官らが高齢であり、今後証言が困難になるおそれがあることから、早急に証人尋問が実施されるべきです。

ドキュメンタリー映画「袴田巖 夢の間の世の中」

現在の袴田さんは、静岡県浜松市内で実姉の袴田秀子さんと生活しています。その生活の様子を記録したドキュメンタリー映画「袴田巖 夢の間の世の中」(金聖雄監督)が2016年2月から全国の映画館で順次上映されています。
映画は、袴田さんの日々の生活を丁寧に描いています。長年の身体拘束による拘禁症の症状があるものの、表情が明るくなっていく等回復の兆しが見て取れます。弁護人としては、スクリーンに映される袴田さんの穏やかな生活を目にし、感動するとともに、この生活が二度と壊されることがないように、速やかな再審開始の確定、再審公判、そして無罪判決を目指したいと考えています。